北海道日本ハムファイターズで、キレのある直球を武器に活躍を続ける北山亘基(きたやま・こうき)投手。
マウンド上で見せる力強いピッチングや、WBC日本代表・プレミア12などで見せた勝負強さの原点はどこにあるのでしょうか。
この記事では、北山亘基投手のノーヒットノーランを達成した高校時代や大学などの学歴、そして彼の人間性を形作った当時の知られざるエピソードを詳しくご紹介いたします!

どんな経歴や学歴を歩んできたんだろう?
高校時代にノーヒットノーランを達成!北山亘基の学歴
まずは、北山亘基投手の学歴を一覧で振り返ってみましょう!
小学校:京都市立京北第一小学校(現:京都市立京都京北小中学校)
中学校:京都市立周山中学校(現:京都市立京都京北小中学校)
高校:京都成章高等学校
大学:京都産業大学 経済学部
北山投手は、生まれ故郷である京都府で大学卒業までを過ごしています。



京都成章高等学校の硬式野球部は、2026年時点で春夏通算5回(春2回・夏3回)の甲子園出場実績を持つ強豪校!
北山亘基の学生時代のエピソード
それでは、それぞれの時代における詳細なエピソードを見ていきましょう!
中学校
北山投手は地元の京都市立周山(しゅうざん)中学校に進学。
同校では、シニアリーグなどの硬式野球クラブではなく、学校の軟式野球部に所属していました。


北山投手はのちのインタビューで、
小3の冬に少年野球のチームに入ったのですが、休み時間や放課後にやっていた野球の延長線上という感じ。
だからとても楽しかった思い出です。
引用元:FirstPitch
と振り返っています。
中学3年春の京都市大会では、8強入りを果たすなどの実績を残した北山投手。
しかし、チーム全体としては全国区で勝ち上がるような強豪ではなかったため、当時はスカウトから大きく注目される存在ではありませんでした。
また中学3年生のある日、父親から「高校に行かんで、働いてもらってもええんやで」と、あえて厳しい選択肢を突きつけられたそうです。
この言葉は決して突き放されたわけではなく、北山投手に「本気度」を問いかけるものでした。
これによって彼は「大好きな野球を続けさせてもらえるなら、徹底的にやり抜こう」と強い覚悟を決めたと後に語っています。



軟球が「自分には合っていた」と振り返っているよ
高校
中学卒業後、北山投手は京都の強豪・京都成章(せいしょう)高等学校(メディカルスポーツコースの偏差値は49)に進学します。


高校に入学するとすぐに頭角を現し、1年春からベンチ入り。
2年春にはエースナンバーを背負うなど順調なエリート街道を歩んでいるように見えました。
そんな高校生活を送っていた彼ですが、2年の秋に大きな壁にぶつかります。
精神的なプレッシャーなどから投球感覚を失う「イップス」を発症し、一時はマウンドから遠ざかるほどフォームを崩してしまいました。
そこで、冬の間に体幹トレーニングや徹底的なフォームの見直しを行い、地道な努力でこのスランプを克服。
さらに、新チームでは技術だけでなくその真面目でクレバーな人間性を評価され、キャプテンに指名されました。
3年春の京都府大会では16奪三振のノーヒットノーランを達成し、夏には主将兼エースとして19年ぶりとなる夏の甲子園出場を果たています。
甲子園では力投を見せたものの惜敗し、プロ志望届を提出した2017年のドラフト会議では指名漏れを経験します。



硬球を初めて握るにあたっては苦労もあったそう
大学
悔しさをバネに京都産業大学経済学部へ進学した北山投手は、名将の指導のもとで「考える野球」に磨きをかけました。


1年春からのリーグ戦登板を経て、1年秋に防御率0.96の好成績を残し、4年時には大学でも主将を務め最優秀投手賞を受賞。
最速153km/hに到達した実力を評価され、2021年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから8位指名を受けてプロ入りを果たします。
プロ1年目には開幕投手をつとめるほどの飛躍を見せました。
ルーキーでここまで活躍できる選手は、なかなかいないですよね!



まさに下剋上だね!
なぜ「教授」というあだ名がついたのかを徹底考察!
この章では、北山亘基投手はなぜ「教授」というあだ名で呼ばれるのかを徹底考察してみました!
北山投手は大学3年生の時、コロナ禍で思うように全体練習ができない日々が続きました。
そこで北山選手が取り組んだのが、詳細な「野球ノート」をつけること。
自らの投球フォームや感覚、課題を言語化して客観的に分析する習慣は、大学時代に完全に確立されたものです。
また、大学時代に基礎となる思考力を養うために自己啓発本やビジネス書などを手当たり次第に読み漁っていたといいます。
特に大学時代に出会った思想家・中村天風の『君に成功を贈る』からは、「他人に好かれる立ち振る舞いや言動の大切さ」を学び、人間性の土台にしたそうです。


さらに、大学からプロ入りする前の仮契約時点の取材で、なんと4つのオンラインサロンに入会していることを明かしています。
トレーニング理論やコンディショニングに関する最新の知見を取り入れるため、大学時代から「良質な情報への投資」を惜しまない、まさに研究者のような姿勢を持っていました。
日本ハムに入団後、彼のこの「あまりにも勉強熱心で知識が豊富な姿」を見たチームの先輩・上沢直之投手などから、親しみを込めて「教授」というニックネームが付けられました。
大学時代の彼の取り組みを振り返ると、この愛称はプロになってから急に言われ始めたものではなく、彼が自ら主体的に「野球学」を研究し続けた結果の必然だったことが分かりますね!



結果として大学に進学したことが吉と出たのかも?
まとめ
京都成章高校での甲子園での悔しさ、そして京都産業大学での圧倒的なインプットとアウトプット。
北山亘基選手の学歴をひも解くと、現在のクレバーなプレースタイルの原点がすべて詰まっていました。
一時期は「感覚を研ぎ澄ますために一度教授を卒業する」といったコメントもありましたが、彼が持つ探究心の本質は変わりません。
これからもその高い知性と一級品のストレートで、プロ野球界に新たな「定理」を証明し続けてくれることを期待しましょう!












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